鶴田さんへの一途な思い 前編
- 2016/11/19
- 06:00
高二の秋のことだ。
修学旅行で広島に行った。
なお、登場人物はすべて仮名で、少なくないフェイクがある。
旅行初日の晩には定番のアレがあった。
が、展開がちょっとおかしかった。
「おれは断然鶴田さんだな」
「おれもおれも」
隣のクラスには、鶴田さんという女の子がいた。
部屋の電気を消して、ふとんにくるまって、廊下の足音に意を配りながら、ひそひそ声で、あの子がいいだのあの子はダメだだの話し合うのが醍醐味だというのに、どいつもこいつも鶴田さんがいい!としか言わない。
ので、まったく議論にならない。
鶴田さんの顔は・・・今思うとそんなに可愛いわけじゃなかったと思う。
整っているが少し眼つきがきつい。
でも、
「絶妙だよな、あのムネ」
「ああ。あの体型にはあのサイズしかない。お尻もちょうどいい」
「手とかほっぺたとかさ、真っ白なんだよな」
「つうことはだよ、たぶん、おっぱいも真っ白なんだぜ」
とみんなが言うように、素晴らしいカラダをしていた。
短く切りそろえたショートカットで、しかもバレー部でばりばり運動やってたから、お嬢様みたいな感じではない。
けど、持ち物や身なりはいつも小ざっぱりとしていて、清楚な感じはあった。
「その白さの中で、乳首のピンクが際立ってピンクなんだぜ。たぶん」
「いや。ピンク、というより、桃色、というニュアンスであって欲しい」
「あー確かにわかるわそれ」
「おおお、オレなんだか興奮してきた」
健康な男子19人が、押し込まれた大部屋で悶々としながら囁きあい、頷きあう。
僕も、桃色というニュアンスには陰ながら賛成だ。
暗いから顔も見えない、囁き声だから誰が言ったのか判然としないけど、よくぞ言ったとほめてやりたい。
僕は、人の話を聞くのは好きだが自分から語るのは苦手だ。
だからずっと黙ってた。
ところが、ずっとだんまりを決め込んでいる人間を見逃すようなクラスメイトたちではない。
隣のふとんの奴が「おい、お前はどうなんだよ」と、水を向けてきたのだった。
あーあ、やっぱりしゃべんなきゃダメかなあ。
しゃべりたくないな。
実は僕も鶴田さん派だった。
いや、ちょっとちがうかも。
ちがうな。
おっぱいがどうとか、もちろんそういうのにも興味はあったが、純粋に好きだったんだと思う。
一年のときクラスがおなじで、緑化委員を一緒にやってた。
あんまり口をきいたことはなかった。
メアドとかも訊いてない。
けど、週に一回まわってくる花壇の手入れの時には、僕も鶴田さんも生真面目に、さぼることなく草むしりをした。
放課後の時間、五時半きっかりに、昇降口のとなりで待ち合わせをする。
鶴田さんはバレー部を抜け出してくるから、ショートパンツ姿のままだった。
花壇の手入れは十分もあれば終わってしまう、その間、ふれそうでふれない距離にある彼女の太ももが視界のはしをちらちらと行き来する。
高校生の男子にはそういうのはダメだ。
僕が、いつも劣情を抑えるのに必死だったのはいうまでもない。
ふだんは寡黙な鶴田さんだったけど、花壇の手入れのときはしばしば歓声をあげることがあった。
好きな花が咲いているのを見つけたときだ。
特に、秋に多かったような気がする。
秋の花が好きだったんだろう。
いちばんよく覚えてるのが、紫色の、ベルみたいな形の花を見つけたときだ。
ハスキーで低めの声の鶴田さんが、いかにも女の子らしい声をだして僕を呼んだ。
それもたしか秋口のことだった。
びっくりした僕がきょとんとした目を向けると、鶴田さんは我に返ったのか目を伏せて、その紫の花を指差した。
「これ、こんなところに生えてる。ふつうは山に生えるんだよ」
ツリガネニンジンていう草なんだ、と教えてくれた。
「これ、ほんとは雑草なんだけど・・・、見逃していいよね?」
いつくしむようにその雑草に目を落とす鶴田さんのたたずまいに、僕はすっかりやられた。
「おいおい小林、もったいぶんなよ早く言え」
みんなが口々にせかしてきた。
あんまり言いたくないんだけどなあ。
しかたなく空気を読んで、適当にお茶を濁そうと思ったら、だしぬけに廊下から乱暴な足音が聞こえてきた。
生活指導の遠山のそれであることはみんな、すぐに察知した。
こういうときの連携は素早い。
僕らは一気に気配を消し去って、目を固く瞑った。
みんなが鶴田さんのことを笑い話にできるのは、彼女に抱いている興味が主にシモ関係のことだったからだ。
僕の場合はそういうのとはちょっと違う。
僕にとっては、好きな女の子が誰か、とか、その子のどこが良かった、とか、毎日顔を合わせてる連中に暴露するのはあまりに恥ずかしいことだった。
鶴田さんは目つきがちょっときついせいで、怖そう、とか近づきがたい、とか言われてる。
でも、僕はその目つきが、彼女の中で際立って魅力的なところだと思ってる。
確かに、冷たい印象は受けるかもしれない、けど、絶対笑ったら可愛いと思うんだよ。
だから、言わないで済んでよかった、と、その晩、眠りに落ちる前には思った。
でも次の日、僕はもっと恥ずかしい目に遭って、ああ、昨日さっさと白状しておくんだった、と後悔することになる。
泊まっていたホテルは宮島で、厳島まで歩いて行ける距離だったから、翌朝の朝メシ前、希望者は散歩がてらお参りに行くことが許されていた。
あの後、数回見回りの足音が聞こえたらしい。
遠山の足音をやり過ごした連中は、その後も囁き声でああでもないこうでもないと話し合ったらしいが僕はとっとと眠ってしまった。
宿のふとんがなかなか寝心地よかったのもあって、妙に目覚めがよかったから、同じ境遇の杉田と生熊の二人を誘って、僕も散歩に出かけることにした。
これがまずかった。
というのも、誘った二人は自分らが寝落ちしてしまったのを心底残念がっていて、神社への道すがら、延々と話の続きをしたがったからだ。
初めはそいつらが話す内容に相槌をうっていればよかったが、ちょうどあの赤い大鳥居が見えてきたあたりで、彼らの話題はつきてしまった。
そして、僕にせっついた。
「そういやお前、どの子が好みか言ってねえじゃん」
「あ!そうだよ、言いかけたところで遠山のやつが・・・」
うっかり声が大きくなってしまったのを、引率に来ていた遠山がとがめて、じろっとこっちをにらんで来た。
何度も見回りしたんだろう、ものすごく眠そうだ。
悪い人ではないんだろうけど真面目すぎる。
生徒が悪さをしたときだけ出動すればいいのに。
また僕らはひそひそ声になる。
「おお、いけね。あいつ来てるんだった」
「それより小林はやく言えよ、おい」
周りを歩いている同級生たちは、建物を見上げて上の空になってた。
それにちょうど物陰だったし、しゃべる相手も今ならふたりだけだし。
あんまりしつこく聞かれるのに、断ったら気分悪くさせちゃうかもしれないし。
と思った僕は、二人に顔を寄せて言った。
「鶴田さん」
僕はつとめて小声で言ったのだ。
ところが、生熊が、ああやっぱりな、といった風で、
「やっぱり小林も鶴田さんか!」
「あほ!声がでかいよ」
と言っても、はりあげた声ではなかったから、周りに気付かれた様子はない。
僕らは一瞬ぐるりとあたりをうかがって、安堵した。
「わりいわりい」と、生熊。
「勘弁してくれよ」と、僕。
僕のうろたえぶりに、杉田は笑った。
「お前あわてすぎだろ。なんかマジっぽいぞ」
図星を突かれた僕はさらに赤面してしまう。
えい、もうやけくそだ。
「マジなんだよ。好きなんだよ。悪かったな」
僕が(あくまで囁き声だが)はっきり言い放つと、生熊も杉田も一瞬呆気に取られたようだった・・・。
と、思ったら違った。
ふたりの視線は僕の後ろに向けられていて、なんだろ?と思って後ろを振り返ったら、建物の陰からひょっこり人の顔がのぞいていて、誰だ!?と思ったら、それは話題の鶴田さんだった。
死ぬかと思った。
「あー、なんか邪魔みたいだし俺ら行くわ」
生熊と杉田はすたこらと、もと来たほうへ逃げていく。
すっごいニヤケながら。
神社のことなんかどうでも良かったらしいあいつらは、とっとと宿へ引き返して、この話をネタに洗面所でヒソヒソと盛り上がるんだろう。
何がなんか邪魔みたいだし、だよ。
こうなったのはあいつらのせいなのに。
最悪だ。
鶴田さんは前髪ぱっつんでショートだ。
傾けた顔に、サイドの黒髪がちりかかって、片方のほっぺたが隠れている。
そんな彼女が、朱塗りの柱の陰からひょっこり顔だけ出しているさまは、いたずらしに現れたおかっぱ頭の座敷わらしみたいだった。
いや、座敷わらし見たことないけど、あんな感じだと思う、きっと。
自分の顔が真っ赤になっているのがはっきりとわかった。
きっと、彼女のほうから見た僕は、赤オニやナマハゲみたいになっているはずだ。
座敷わらしは黒目を動かさず、まっ白い顔をこっちに向けてひと言も話さない。
しばらく僕のほうも何も言えないでいたが、髪で隠れてないほうの頬にちょっとピンク・・・、いや、桃色がさしたのが見えて、ようやく口をきくことができた。
「何してるの?」
すると、おかっぱ頭はひょい、と物陰に引っ込んだ。
その後についていくと、物陰にある柱の根元に紫色の花が幾房。
いつぞやのツリガネニンジンが咲いていた。
そういえば、ちょうど今は秋だったっけ。
鶴田さんはあずき色ジャージの姿のまま直立していた。
桜色にほほ染めるはかなげな風情とは裏腹に、彼女は極めて単刀直入だった。
「さっき言ってたこと本当?あたしのこと好きなの?」
さらには、極めて疑り深かった。
「本当?」
「どっきりとかじゃなくて?」
「冗談でもなくて?」
最初の一回頷くのでさえ、恥ずかしさでこめかみから血を吹きこぼしそうになったというのに。
僕は何度も頷かなければならなかった。
頷くべきか誤魔化すべきかについては、なぜか迷わなかった。
何度も何度も鶴田さんは僕に念を押して、ようやく納得すると、
「うん。・・・うん。うん。わかった」
そう言ってその場を離れていった。
あれ?あれ、そんだけですか。
その後の旅程といったらなかった。
鶴田さんから何かしらのアプローチなりコンタクトなりあると思っていた僕は、彼女の姿が見えるそのたび、さりげなく人のいないところに移動したり、こわばる顔を気合いで抑えて笑顔を作ったりして、話しかけやすい雰囲気作りに腐心し続けた。
ところがなーんも、なかった。
たとえば、消灯時間ぎりぎりまで用もないのに風呂場の前の自販機横にたたずんでみた。
鶴田さんは友達と談笑しながら湯上りの匂いを残して通過した。
あるいは、平和祈念公園で見つけた紫色の野草(ツリガネじゃないやつだったけど)を小一時間見つめ続けたりもした。
しかし彼女は花にも僕にも気付かなかった。
ついには痺れを切らし、縮景園の庭で、すれ違いざまに目を合わせた、というよりガン見した。
が、彼女にとって僕は風景の一部に過ぎないようだった。
最終日同じクラスの連中が妙に優しかったのは、彼らの見解が「僕が鶴田さんにフラレた」ということで一致したからだろう。
いや、実際フラレたも同然だ。
SAで生熊がフランクフルトおごってくれたけど、あまりのみじめさで味しなかったもの、全然。
結局、鶴田さんから連絡が来たのは修学旅行から帰った晩のことだった。
くったくたに疲れていた(主に精神的に)から、晩飯も食わずに寝てしまったので、気がついたのは次の日の朝。
知らないメアドからのメールで、送信時刻は深夜の二時半、なぜか立て続けに六通、来ていた。
『明日、一時半に、町の総合運動場まで来て欲しいんだけど』
『あ、御免なさい。一方的に』(←ここで切れてた)
『あ、御免なさい。都合も聞かないで一方的だよね。一時半から待ってます』
『遅くなってもいいです待ってるから。一時半以降で、都合のいいときでいいから』
『絶対来て。何も持たないで来て』
『あ、御免なさい。もしどうしても無理ならいいです』
『何度も御免なさい。私は、鶴田です。小林君のアドレスは、篠原先輩に訊きました』
ドジっ娘?なのかな?と寝惚け半分に思ったのも束の間、視界に入った時計の針で一気に眼がさめた。
現在、12時42分。
一時半まではあと50分弱しかない。
落ち着いて頭を整理してみた。
町の総合運動場は家から自転車で30分はかかる。
いくら『一時半以降ならいつでも』とあるとはいえ、女の子を待たせるのはいかがなものか。
日曜日だから服も見立てないといかん。
そう考えるとすぐにでも家を出る準備をするのがベストだ。
しかし昨日はメシはおろか風呂もすませず寝てしまった。
秋になったとはいえ荷物が重くて結構汗かいた。
このままいくのは体臭的な観点からまずいかも。
いや、確実にまずい、あの人きれい好きだもん。
よし。
僕はクローゼットとタンスを開け放し、中にある服をあらかた記憶すると一階の風呂場へ転げ降り、シャワーを浴びながらコーディネイトを考えた。
右手で体を洗いながら左手で歯を磨き、体を拭くと生まれたままの姿で部屋に駆け上がり、考えていた服を一気にまとった。
さらに洗面所へ突撃して髪を乾かし、見苦しくない程度にワックスでととのえて玄関を飛び出した。
僕のすっぽんぽんを見てしまった幼い妹の泣き声、洗面所でヒゲをそっていたら理不尽にも突き飛ばされた親父の怒号が聞こえた気がしたけど関係ない。
本当に人間というのは努力によってなんとでも苦境をはねのけられるもので、僕はふつうなら30分かかる道のりを21分で走破し、総合運動場の入り口へは一時二十分に到着した。
僕は自転車をとめ、水を買って一服ついた。
そういえば、いったい何の用なんだろうか。
携帯を取り出してメールを見てみるが、六通もあるわりには内容が簡潔すぎる。
文面には鶴田さんの真意がわずかも漂っていない。
状況からは、「改めてゴメンナサイされる」というのがもっとも有りうべきパターンだと思う。
妹に全裸をさらし親父をどつき飛ばし自転車を飛ばしているときの僕は、焦るばかりでちっともその点に気がついていなかった。
もしそうならとんだ取り越し苦労になる。
一番ありそうだけど、考えたくない結末だ。
でも、と思うところもある。
鶴田さんは僕のメアドを篠原先輩から教わった、という。
篠原先輩というのは昔通ってたスイミングクラブ時代の友達で、今は同じ高校の先輩後輩になっている。
先輩は、高校入学と同時にスイミングをやめてバレーボール一本に絞り、今年の県大会ではうちの高校をベスト4まで持っていった人だ。
女だけど頼れる兄貴みたいな人で気兼ねが要らない。
今じゃ一応先輩って呼ぶけど話すときはタメ語でしゃべってる。
だけど、篠原先輩はバレー部の同級生や後輩相手には恐ろしく厳しくしているらしい。
本人もそう豪語してたし、うわさもそれを裏付ける。
鶴田さんは、まさにそのバレー部の後輩にあたる。
先輩の口から鶴田さんと特別親しいような話は聞いたことがないし、気安く僕のアドレスを聞きだせる間柄とは思えない。
ひょっとしたら、旅行中は照れくさくて言えなかったことを、どうしても僕に伝えるため、わざわざおっかない先輩にアドレスを問い合わせたんじゃないか、そんなことも、考えられなくはない。
考えられなくはないはずだぞ。
以上、四段落におよぶ思考を終えるのには一分とかからなかった。
満を持して、僕は鶴田さんを待った。
駐車場の縁石に腰かけて、野球少年がガリガリ君を食べてた。
待ってる時間、目の前の風景はまるで他人事のようだった。
修学旅行で広島に行った。
なお、登場人物はすべて仮名で、少なくないフェイクがある。
旅行初日の晩には定番のアレがあった。
が、展開がちょっとおかしかった。
「おれは断然鶴田さんだな」
「おれもおれも」
隣のクラスには、鶴田さんという女の子がいた。
部屋の電気を消して、ふとんにくるまって、廊下の足音に意を配りながら、ひそひそ声で、あの子がいいだのあの子はダメだだの話し合うのが醍醐味だというのに、どいつもこいつも鶴田さんがいい!としか言わない。
ので、まったく議論にならない。
鶴田さんの顔は・・・今思うとそんなに可愛いわけじゃなかったと思う。
整っているが少し眼つきがきつい。
でも、
「絶妙だよな、あのムネ」
「ああ。あの体型にはあのサイズしかない。お尻もちょうどいい」
「手とかほっぺたとかさ、真っ白なんだよな」
「つうことはだよ、たぶん、おっぱいも真っ白なんだぜ」
とみんなが言うように、素晴らしいカラダをしていた。
短く切りそろえたショートカットで、しかもバレー部でばりばり運動やってたから、お嬢様みたいな感じではない。
けど、持ち物や身なりはいつも小ざっぱりとしていて、清楚な感じはあった。
「その白さの中で、乳首のピンクが際立ってピンクなんだぜ。たぶん」
「いや。ピンク、というより、桃色、というニュアンスであって欲しい」
「あー確かにわかるわそれ」
「おおお、オレなんだか興奮してきた」
健康な男子19人が、押し込まれた大部屋で悶々としながら囁きあい、頷きあう。
僕も、桃色というニュアンスには陰ながら賛成だ。
暗いから顔も見えない、囁き声だから誰が言ったのか判然としないけど、よくぞ言ったとほめてやりたい。
僕は、人の話を聞くのは好きだが自分から語るのは苦手だ。
だからずっと黙ってた。
ところが、ずっとだんまりを決め込んでいる人間を見逃すようなクラスメイトたちではない。
隣のふとんの奴が「おい、お前はどうなんだよ」と、水を向けてきたのだった。
あーあ、やっぱりしゃべんなきゃダメかなあ。
しゃべりたくないな。
実は僕も鶴田さん派だった。
いや、ちょっとちがうかも。
ちがうな。
おっぱいがどうとか、もちろんそういうのにも興味はあったが、純粋に好きだったんだと思う。
一年のときクラスがおなじで、緑化委員を一緒にやってた。
あんまり口をきいたことはなかった。
メアドとかも訊いてない。
けど、週に一回まわってくる花壇の手入れの時には、僕も鶴田さんも生真面目に、さぼることなく草むしりをした。
放課後の時間、五時半きっかりに、昇降口のとなりで待ち合わせをする。
鶴田さんはバレー部を抜け出してくるから、ショートパンツ姿のままだった。
花壇の手入れは十分もあれば終わってしまう、その間、ふれそうでふれない距離にある彼女の太ももが視界のはしをちらちらと行き来する。
高校生の男子にはそういうのはダメだ。
僕が、いつも劣情を抑えるのに必死だったのはいうまでもない。
ふだんは寡黙な鶴田さんだったけど、花壇の手入れのときはしばしば歓声をあげることがあった。
好きな花が咲いているのを見つけたときだ。
特に、秋に多かったような気がする。
秋の花が好きだったんだろう。
いちばんよく覚えてるのが、紫色の、ベルみたいな形の花を見つけたときだ。
ハスキーで低めの声の鶴田さんが、いかにも女の子らしい声をだして僕を呼んだ。
それもたしか秋口のことだった。
びっくりした僕がきょとんとした目を向けると、鶴田さんは我に返ったのか目を伏せて、その紫の花を指差した。
「これ、こんなところに生えてる。ふつうは山に生えるんだよ」
ツリガネニンジンていう草なんだ、と教えてくれた。
「これ、ほんとは雑草なんだけど・・・、見逃していいよね?」
いつくしむようにその雑草に目を落とす鶴田さんのたたずまいに、僕はすっかりやられた。
「おいおい小林、もったいぶんなよ早く言え」
みんなが口々にせかしてきた。
あんまり言いたくないんだけどなあ。
しかたなく空気を読んで、適当にお茶を濁そうと思ったら、だしぬけに廊下から乱暴な足音が聞こえてきた。
生活指導の遠山のそれであることはみんな、すぐに察知した。
こういうときの連携は素早い。
僕らは一気に気配を消し去って、目を固く瞑った。
みんなが鶴田さんのことを笑い話にできるのは、彼女に抱いている興味が主にシモ関係のことだったからだ。
僕の場合はそういうのとはちょっと違う。
僕にとっては、好きな女の子が誰か、とか、その子のどこが良かった、とか、毎日顔を合わせてる連中に暴露するのはあまりに恥ずかしいことだった。
鶴田さんは目つきがちょっときついせいで、怖そう、とか近づきがたい、とか言われてる。
でも、僕はその目つきが、彼女の中で際立って魅力的なところだと思ってる。
確かに、冷たい印象は受けるかもしれない、けど、絶対笑ったら可愛いと思うんだよ。
だから、言わないで済んでよかった、と、その晩、眠りに落ちる前には思った。
でも次の日、僕はもっと恥ずかしい目に遭って、ああ、昨日さっさと白状しておくんだった、と後悔することになる。
泊まっていたホテルは宮島で、厳島まで歩いて行ける距離だったから、翌朝の朝メシ前、希望者は散歩がてらお参りに行くことが許されていた。
あの後、数回見回りの足音が聞こえたらしい。
遠山の足音をやり過ごした連中は、その後も囁き声でああでもないこうでもないと話し合ったらしいが僕はとっとと眠ってしまった。
宿のふとんがなかなか寝心地よかったのもあって、妙に目覚めがよかったから、同じ境遇の杉田と生熊の二人を誘って、僕も散歩に出かけることにした。
これがまずかった。
というのも、誘った二人は自分らが寝落ちしてしまったのを心底残念がっていて、神社への道すがら、延々と話の続きをしたがったからだ。
初めはそいつらが話す内容に相槌をうっていればよかったが、ちょうどあの赤い大鳥居が見えてきたあたりで、彼らの話題はつきてしまった。
そして、僕にせっついた。
「そういやお前、どの子が好みか言ってねえじゃん」
「あ!そうだよ、言いかけたところで遠山のやつが・・・」
うっかり声が大きくなってしまったのを、引率に来ていた遠山がとがめて、じろっとこっちをにらんで来た。
何度も見回りしたんだろう、ものすごく眠そうだ。
悪い人ではないんだろうけど真面目すぎる。
生徒が悪さをしたときだけ出動すればいいのに。
また僕らはひそひそ声になる。
「おお、いけね。あいつ来てるんだった」
「それより小林はやく言えよ、おい」
周りを歩いている同級生たちは、建物を見上げて上の空になってた。
それにちょうど物陰だったし、しゃべる相手も今ならふたりだけだし。
あんまりしつこく聞かれるのに、断ったら気分悪くさせちゃうかもしれないし。
と思った僕は、二人に顔を寄せて言った。
「鶴田さん」
僕はつとめて小声で言ったのだ。
ところが、生熊が、ああやっぱりな、といった風で、
「やっぱり小林も鶴田さんか!」
「あほ!声がでかいよ」
と言っても、はりあげた声ではなかったから、周りに気付かれた様子はない。
僕らは一瞬ぐるりとあたりをうかがって、安堵した。
「わりいわりい」と、生熊。
「勘弁してくれよ」と、僕。
僕のうろたえぶりに、杉田は笑った。
「お前あわてすぎだろ。なんかマジっぽいぞ」
図星を突かれた僕はさらに赤面してしまう。
えい、もうやけくそだ。
「マジなんだよ。好きなんだよ。悪かったな」
僕が(あくまで囁き声だが)はっきり言い放つと、生熊も杉田も一瞬呆気に取られたようだった・・・。
と、思ったら違った。
ふたりの視線は僕の後ろに向けられていて、なんだろ?と思って後ろを振り返ったら、建物の陰からひょっこり人の顔がのぞいていて、誰だ!?と思ったら、それは話題の鶴田さんだった。
死ぬかと思った。
「あー、なんか邪魔みたいだし俺ら行くわ」
生熊と杉田はすたこらと、もと来たほうへ逃げていく。
すっごいニヤケながら。
神社のことなんかどうでも良かったらしいあいつらは、とっとと宿へ引き返して、この話をネタに洗面所でヒソヒソと盛り上がるんだろう。
何がなんか邪魔みたいだし、だよ。
こうなったのはあいつらのせいなのに。
最悪だ。
鶴田さんは前髪ぱっつんでショートだ。
傾けた顔に、サイドの黒髪がちりかかって、片方のほっぺたが隠れている。
そんな彼女が、朱塗りの柱の陰からひょっこり顔だけ出しているさまは、いたずらしに現れたおかっぱ頭の座敷わらしみたいだった。
いや、座敷わらし見たことないけど、あんな感じだと思う、きっと。
自分の顔が真っ赤になっているのがはっきりとわかった。
きっと、彼女のほうから見た僕は、赤オニやナマハゲみたいになっているはずだ。
座敷わらしは黒目を動かさず、まっ白い顔をこっちに向けてひと言も話さない。
しばらく僕のほうも何も言えないでいたが、髪で隠れてないほうの頬にちょっとピンク・・・、いや、桃色がさしたのが見えて、ようやく口をきくことができた。
「何してるの?」
すると、おかっぱ頭はひょい、と物陰に引っ込んだ。
その後についていくと、物陰にある柱の根元に紫色の花が幾房。
いつぞやのツリガネニンジンが咲いていた。
そういえば、ちょうど今は秋だったっけ。
鶴田さんはあずき色ジャージの姿のまま直立していた。
桜色にほほ染めるはかなげな風情とは裏腹に、彼女は極めて単刀直入だった。
「さっき言ってたこと本当?あたしのこと好きなの?」
さらには、極めて疑り深かった。
「本当?」
「どっきりとかじゃなくて?」
「冗談でもなくて?」
最初の一回頷くのでさえ、恥ずかしさでこめかみから血を吹きこぼしそうになったというのに。
僕は何度も頷かなければならなかった。
頷くべきか誤魔化すべきかについては、なぜか迷わなかった。
何度も何度も鶴田さんは僕に念を押して、ようやく納得すると、
「うん。・・・うん。うん。わかった」
そう言ってその場を離れていった。
あれ?あれ、そんだけですか。
その後の旅程といったらなかった。
鶴田さんから何かしらのアプローチなりコンタクトなりあると思っていた僕は、彼女の姿が見えるそのたび、さりげなく人のいないところに移動したり、こわばる顔を気合いで抑えて笑顔を作ったりして、話しかけやすい雰囲気作りに腐心し続けた。
ところがなーんも、なかった。
たとえば、消灯時間ぎりぎりまで用もないのに風呂場の前の自販機横にたたずんでみた。
鶴田さんは友達と談笑しながら湯上りの匂いを残して通過した。
あるいは、平和祈念公園で見つけた紫色の野草(ツリガネじゃないやつだったけど)を小一時間見つめ続けたりもした。
しかし彼女は花にも僕にも気付かなかった。
ついには痺れを切らし、縮景園の庭で、すれ違いざまに目を合わせた、というよりガン見した。
が、彼女にとって僕は風景の一部に過ぎないようだった。
最終日同じクラスの連中が妙に優しかったのは、彼らの見解が「僕が鶴田さんにフラレた」ということで一致したからだろう。
いや、実際フラレたも同然だ。
SAで生熊がフランクフルトおごってくれたけど、あまりのみじめさで味しなかったもの、全然。
結局、鶴田さんから連絡が来たのは修学旅行から帰った晩のことだった。
くったくたに疲れていた(主に精神的に)から、晩飯も食わずに寝てしまったので、気がついたのは次の日の朝。
知らないメアドからのメールで、送信時刻は深夜の二時半、なぜか立て続けに六通、来ていた。
『明日、一時半に、町の総合運動場まで来て欲しいんだけど』
『あ、御免なさい。一方的に』(←ここで切れてた)
『あ、御免なさい。都合も聞かないで一方的だよね。一時半から待ってます』
『遅くなってもいいです待ってるから。一時半以降で、都合のいいときでいいから』
『絶対来て。何も持たないで来て』
『あ、御免なさい。もしどうしても無理ならいいです』
『何度も御免なさい。私は、鶴田です。小林君のアドレスは、篠原先輩に訊きました』
ドジっ娘?なのかな?と寝惚け半分に思ったのも束の間、視界に入った時計の針で一気に眼がさめた。
現在、12時42分。
一時半まではあと50分弱しかない。
落ち着いて頭を整理してみた。
町の総合運動場は家から自転車で30分はかかる。
いくら『一時半以降ならいつでも』とあるとはいえ、女の子を待たせるのはいかがなものか。
日曜日だから服も見立てないといかん。
そう考えるとすぐにでも家を出る準備をするのがベストだ。
しかし昨日はメシはおろか風呂もすませず寝てしまった。
秋になったとはいえ荷物が重くて結構汗かいた。
このままいくのは体臭的な観点からまずいかも。
いや、確実にまずい、あの人きれい好きだもん。
よし。
僕はクローゼットとタンスを開け放し、中にある服をあらかた記憶すると一階の風呂場へ転げ降り、シャワーを浴びながらコーディネイトを考えた。
右手で体を洗いながら左手で歯を磨き、体を拭くと生まれたままの姿で部屋に駆け上がり、考えていた服を一気にまとった。
さらに洗面所へ突撃して髪を乾かし、見苦しくない程度にワックスでととのえて玄関を飛び出した。
僕のすっぽんぽんを見てしまった幼い妹の泣き声、洗面所でヒゲをそっていたら理不尽にも突き飛ばされた親父の怒号が聞こえた気がしたけど関係ない。
本当に人間というのは努力によってなんとでも苦境をはねのけられるもので、僕はふつうなら30分かかる道のりを21分で走破し、総合運動場の入り口へは一時二十分に到着した。
僕は自転車をとめ、水を買って一服ついた。
そういえば、いったい何の用なんだろうか。
携帯を取り出してメールを見てみるが、六通もあるわりには内容が簡潔すぎる。
文面には鶴田さんの真意がわずかも漂っていない。
状況からは、「改めてゴメンナサイされる」というのがもっとも有りうべきパターンだと思う。
妹に全裸をさらし親父をどつき飛ばし自転車を飛ばしているときの僕は、焦るばかりでちっともその点に気がついていなかった。
もしそうならとんだ取り越し苦労になる。
一番ありそうだけど、考えたくない結末だ。
でも、と思うところもある。
鶴田さんは僕のメアドを篠原先輩から教わった、という。
篠原先輩というのは昔通ってたスイミングクラブ時代の友達で、今は同じ高校の先輩後輩になっている。
先輩は、高校入学と同時にスイミングをやめてバレーボール一本に絞り、今年の県大会ではうちの高校をベスト4まで持っていった人だ。
女だけど頼れる兄貴みたいな人で気兼ねが要らない。
今じゃ一応先輩って呼ぶけど話すときはタメ語でしゃべってる。
だけど、篠原先輩はバレー部の同級生や後輩相手には恐ろしく厳しくしているらしい。
本人もそう豪語してたし、うわさもそれを裏付ける。
鶴田さんは、まさにそのバレー部の後輩にあたる。
先輩の口から鶴田さんと特別親しいような話は聞いたことがないし、気安く僕のアドレスを聞きだせる間柄とは思えない。
ひょっとしたら、旅行中は照れくさくて言えなかったことを、どうしても僕に伝えるため、わざわざおっかない先輩にアドレスを問い合わせたんじゃないか、そんなことも、考えられなくはない。
考えられなくはないはずだぞ。
以上、四段落におよぶ思考を終えるのには一分とかからなかった。
満を持して、僕は鶴田さんを待った。
駐車場の縁石に腰かけて、野球少年がガリガリ君を食べてた。
待ってる時間、目の前の風景はまるで他人事のようだった。